相性占いを信じるか否か

相性占いを信じるか否かということは、実は恋愛において重要な分岐点になる。
それはつまり、他人の言うことを自分の判断より信じるか否か、ということだからだ。
好きな人を、占いの結果によって諦めるかどうか。

これは恋愛に限らず日々の行動パターンからも伺えることだが、自分の人生にとって大切な局面に至ったとき、どう判断を下すかということはその人の性格を如実に現すことになる。
他人の意見を尊重して、自分の意思を無視するか否か。
他人の意見を信じることももちろん大切だが、それに頼りすぎると失敗した時も責任を他人に押し付けてしまうと思う。
選択も結果も、全ては自分の責任だ。
だから私は極力、相性占いは信じないようにしている。
手相占いに関しても同様だ。
姓名判断などにしても、まだどんなに性格が合うかも分からないうちから、将来自分が相手の姓を名乗った場合の字画の悪さ、を理由に切り捨てる必要はないと思っている。
だからたとえ好きになった人との相性が「凶」だったとしても気にしない。
それが誕生日からでも名前からでも同様の結果だったとしても、気に病む必要は全くないのだ。
占いがどうであれ、その相手と出会ったことが自分の人生にとって何らかの意味を持っていることなのだから。
良縁であれば上手くいくし、そうでなければ上手くいかない。
でも、結局それも縁のうちなのだ。
蓋を開けて見なければ結果は分からない。
だから、常に自分のことは自分が決めるというスタンスでありたいと思っている。
それがもちろん、一通り占いを見た後に得た結論だったとしても。

大嫌いな人が大好きな人になるかどうか

大嫌いな人が大好きな人に変わる可能性はどのくらいあるだろう。
よく聞く話では、大嫌いな人というのはそれ以上嫌いになれないから、もう大好きになるしかない、のだそう。
だがそんなのはちゃんちゃらおかしい。

私は大嫌いなグリーンピースを、もうこれ以上嫌いになれないから好きになってやる、とは絶対に思わない。
果たして恋愛というものがそれとどれだけ違うだろうか。
嫌いな人の中に、少しいいところを見つけると、ああこの人はいいところもある、と思って見直すことがある。
それに関しては全く異論の余地はないのだ。
人として、美点を見出すことがあるのは間違いない。
だが、大嫌いにはそれなりの大きな理由があって、ちょっとくらいのいいところでは焼け石に水程度の効果しかない。
少し見直したってまたすぐ嫌いになるのに決まっているのだ!
と、私は人に言われるとむきになって言い返している。
絶対に、好きになることなんてありえない。
というのも、そうであってもらわなくては困るのだ。
誰しも生理的に受け付けない人というのがいるだろうが、個人的にも例に漏れず。
私にもどうやっても合わない人物がいる。
好きか嫌いか、というより何だか徹底的に合わない。
話すたびに反発してしまう人。
その人と私の姓名判断の相性がベストマッチング、完璧な相性らしい、と占い好きの人に言われた。
おせっかいにも程がある。
私は決してその人と結ばれるわけにはいかないのだから。
そしてむろん向こうも同様に思っていることは間違いなかろうが、そんなことはさしたる問題ではないのだ。